私の起業ストーリー

普通の主婦がたった半年でカレー屋を始めた話

北海道在住の40代主婦です。

ごく普通の主婦である私が、なぜ、起業という思い切ったことをしたのか、そのストーリーを紹介いたします。

元々私は、学生時代に農業の魅力にはまり、その時からずっと「農業をしたい!」という気持ちを持っていました。

しかし・・・22歳でそんな思い切ったことができるわけもなく、普通に就職して結婚。

そのまま気づけば37歳に。

結婚後も「いつか農業をしたい!」と野望を抱いていたのですが、

「いや、ちょっと待てよ。職業としての農業は無理でも、自然に近いところに住んで農的生活ができればいいんじゃないの!?」と、

人口190万人の地元札幌から、自然豊かな人口1万人程の北海道栗山町に移住しました。

移住後はのんびりのはずが・・・

移住後、念願の家庭菜園を楽しみながら、「これで自然の中でのんびりと生活できる!」と思ったのですが・・・。

いざ、住宅ローンや教育費を計算してみると、

「夫の給料だけじゃ、生活費足りないかも!!どうしよう…。もっと、きちんと計画して移住すればよかった…。」と後悔しました。

あまり不眠症とかは無かった私ですが、生まれて初めて、お金の不安で眠れない日が続きました。

「娘たちはまだ、小学生で、新しい環境だし、家にいてあげたいけど…。パートぐらいなら、大丈夫かな~」と軽い気持ちで働きに出ました。

しかし、その仕事が思った以上に忙しく、家庭菜園も出来なくなるほど、余裕のない生活に疲弊しました。

「せっかく、自然豊かな魅力的な土地に移住したのに、これじゃ、都会の忙しい生活と変わってないかも!!」

「こういう働き方は辞めよう…。」

そう考えながらも、ずるずると仕事を辞められずに数カ月が過ぎ、肉体的、精神的に限界を迎えて退職を考えてた時に、

「まさか、そんなことが起きるのか…。」と思ったのですが、次女が交通事故に遭いました…。

事故に遭って、次女が助からないかもと思った瞬間から、

「なんでもっと大事に家族の時間を過ごさなかったんだろう」と後悔しました。

次女がこのまま目を覚まさなかったら、私もいなくなろうと思いました。

でも、次女は目を覚ましてくれて、大事故だったのに、ほぼ後遺症もなく回復してくれて、今はそばにいてくれています。

今までの価値観が変わって、もっと大事なもののために生きたいと思いました。

次女にはこれからの人生、自分のやりたいことをやってほしいし、私も自分に正直に生きたいと思いました。

パートをやっている場合じゃない

これからは自分に正直に生きたい!

でも、パートはやりたい仕事ではなく、次女に自分のやりたいことをやってほしいと言うからには、自分もやりたいことをやるべきでは?

そう考えると、「パートをやっている場合じゃないのでは?」と思いました。

そう思ったけど・・・お金は稼がなくてはいけない現実がありました。

「でも、前みたいな時間に余裕のない生活には戻りたくない・・・。」

「どうすればいいんだろう・・・!?」

次女が頑張って病院で治療している間、毎日考え続けました。

「会社で働くのではなく、自分で経営する生活を送れば時間的な余裕ができるのでは!」

それが家族が一緒にいられる、人間らしい生活をする生き方ができるかもしれない。

そういえば、主婦が起業してフリーランスになって、子育て中心の生活にシフトしている様子をテレビや本で見たことがあり、「こういう働き方いいな~」と思っていた私。

「普通の主婦でもできるなら、もしかしたら自分も起業できるのかな!」

そんことを考えていた時、私が以前から興味のあった自給自足の専門家でパーマカルチャ―研究所代表三栗祐己さん (permaculture-lab.com)の本を読んでいたら、その中に「自分の好きなことで仕事の自給(起業)をしよう」と書いてありました。

三栗さんは、自給自足の専門家なだけあって、好きなことで起業することで、収入も自給自足しよう、つまり仕事も自給(起業)しようと伝えています。

「好きなこと??」

三栗さん曰く、「誰から言われなくても、勝手に自分でやってしまうこと=好きなことは、辛いと思わないで何時間でも頑張れる」

「なるほど~!!」

そういうことを仕事にしたら、辛くなく楽しいかもな~と思いました。

私の好きなこと→ 農業 or 陸上 or スパイスカレー !?

今、一番仕事の自給をできそうなのは、スパイスカレーかもしれない!!

ゆくゆくは、自分で農作物を栽培したり、自給自足の生活をしたいけど、スパイスカレーを通じて、それに近づけるかもしれない。

そう思い、初めはスパイスカレー教室を自宅で行い、仕事の自給をしようと考えました。

仕事の自給をする自信が無い

しかし、どこかで、私は仕事の自給をする自信がなかったのでしょう。

仕事の自給をしようと思いつつも、パートを続けていたので、仕事の自給に費やす時間の確保が難しく、なかなか前に進めない状態でした。

今のパートに代わるくらいの収入を得られるようにならないと、パートは辞められないと思いました。

でも、パートを続けながらも、出来ることはしようと思い、三栗さんの仕事の自給講座に参加しました。

そこでブログやSNSでの発信方法を教えてもらい、ブログという場所がオンライン上にある自分のお店という形にも出来ることがわかり、私の目標に「好きなスパイスカレーに関するものをブログ上で売ってみたい」が追加されました。

ブログやSNS発信は自分の商品の宣伝に強いし、オンライン上のやり取りもできるので、まさに自分のお店です。

そして、オンライン上のお店は実店舗と比べると、ほとんど無料に近い維持費で運営できるのもメリットでした。

スパイス気分誕生

せっかくオンライン上のお店を作ったのですから、ちゃんと商品を作っておきたい。

そう思うようになり、スパイスカレーに関する商品を作りたいと思いました。

”カレー”や”スパイス”のキーワードで商品を考えていたら、

ふと「カレースパイスなら売れるのでは!」と思いました。

カレースパイスといっても、インドから輸入して売るとかではなく、カレースパイスを独自の配合でミックスしたものなら、便利で売れるかもと思いました。

我が家では、ラッキーなことに旦那がスパイスカレーを作れる人でした。

学生時代にスリランカ人の留学生からスリランカカレーの作り方を教えてもらい、そのスパイスカレーがすごく美味しいのでした。

そして、旦那はそのスリランカカレーを自分だけ辛みを足して食べたいということで、スパイスと唐辛子を配合して玉ねぎと炒めた独自の辛みを作っていました。

この辛みが「食べるラー油」に劣らないぐらい、便利で美味しいものでした。

この辛み、スプーン一杯を自分で作った市販のルーカレーに入れたら、本格的なスパイスカレーに味変しました。

カレーだけじゃなく、スープやお味噌汁、ラーメンに入れてもスパイシーに味変して美味しかったのです。

「この辛みを瓶詰加工して売ったら、売れるのでは!」と思いました。

旨辛スパイスの素「スパイス気分」の誕生です。

食品は自宅で作って売れない事実

でも、「スパイス気分」を商品化して売ろう!と思ったのですが、その方法がわかりませんでした。

色々調べてみると、販売する食品は自宅の台所での調理では保健所の許可が取れないことが分かりました。

保健所の許可が取れる施設で調理しないといけません。

「自分で調理場のあるお店を開店する!?」

【*お店*開業】と検索してみると、最低でも500万円はすることが分かりました。

そのような資金は無いし、借入なども怖いです。

くりふとシェアキッチンで商品化の可能性

なんとか、資金無し、借入無しで商品化出来る方法は無いか考えていました。

そんなある日、ふと、毎月配布される町の広報誌を見ていたら、2023年の春から駅前に「くりふと煉瓦創庫(れんがそうこ)」という新しい施設が出来て、そこにレンタルシェアキッチンがあると書いてありました。

「レンタルシェアキッチン!?」

何が出来るのか、詳しく説明を見てみると、

「飲食営業や試作・加工など、飲食ビジネスへのチャレンジが出来るシェアキッチン。

栗山町が専任スタッフを配置し、メニューづくりや提供方法、地域食材の調達、試食会の実施、PR方法など出店・起業に向けたサポートも行います。」

と書いてありました。

私の中で「加工」「飲食ビジネス」「起業サポート」のキーワードが特に目に入り、飲食店営業は無理でも、キッチンの試作利用や起業に向けたサポートについて相談だけでもしてみようと思いました。

言葉での説明だけだと伝わりにくいと思い、「起業といえば事業計画書だ!」と思って、急遽、書店で購入した「マンガでわかるやさしい事業計画書」という本の見よう見まねで書いたものを、持っていきました。

とても事業計画書と言えないものですがA4一枚に商品の説明や値段、私の思いを書いた資料を用意し、「スパイス気分」商品化の挑戦が出来るか相談しに行きました。

相談にいくと、役場の人とキッチンマネージャーが対応してくれ、用意した資料を見てもらい、

「スパイス気分の商品化をしたく、そのためのキッチン利用やサポートをしてもらえるのでしょうか!?」と聞いてみました。

役場の人とキッチンマネージャーは

「”スパイス気分”の商品化がくりふとシェアキッチンのコンセプトにあっているかもしれない」

と言ってくれ、キッチン利用の条件を教えてもらいました。

その条件は、「食品衛生責任者の資格」を取得することと「製造販売許可」を保健所で取ること!!

(なんか難しそうだな~)と不安な中、でも、やらなきゃ進まないと思い、

とりあえず、ネットで「食品衛生責任者の資格」と検索してみると…。

【eラーニング】というキーワードが!

「えっ?eラーニングで自宅で受けられるの?だったらできるんじゃ…!」

早速、申込みました。

「なんだ、こんなに簡単に取れるんだ~!」

こうして、無事、「食品衛生責任者」の資格が取れたので、残るは「製造販売許可」です。

「難しそう…。」

くりふとのキッチンマネージャーに聞いてみると、

「商品化の工程表を作って、保健所に行ってね」と簡単な感じで教えてくれました。

(商品化の工程表~?)

これもネットで似たような商品化の工程表を探し参考にしながら、慣れない作業ながらも、一つずつ工程を考えて、なんとか作り上げました。

「さあ、工程表を持っていけば【製造販売許可】がとれる」と思ったら…。

保健所の許可の種類の多さ…。

初めて保健所に行った私はそのことをあまり理解していなく、

とにかく、くりふとキッチンを利用したかった私は、保健所の人に商品開発が第一目的なことを上手く伝えられず、「くりふとキッチンを利用したいから許可を取りたいです」とだけしか言えなかったので、保健所の人も「飲食店営業の許可」との認識したのでしょう。

「飲食店営業許可ですね!」と話が進み、なんだか自分でもよく分からないうちに取った許可は「飲食店営業許可」。

この「飲食店営業許可」があるとカレー屋もやれる状態になり、「そのカレーのスパイスです」と言って、「スパイス気分も売ればいいんじゃ!」と思いました。

全く想像してなかったけど、「大好きなカレーを売る仕事が出来るのも悪くないかも」

「スパイス気分だけで売るよりも、確かにカレーと一緒に売る方が相乗効果がありそう」

そんな流れで、当初は全く想像もしてなかった「カレー屋さん」もやることになりました。

今となってはカレー屋さんもオープンも出来て一石二鳥で良かったと思っています。

スパイス販売とカレー屋で仕事の自給を開始する

こうして、2023年4月に起業を決意してわずか半年後の10月には、シェアキッチンでカレー屋さんをやりながら、スパイスの素を販売することになりました。

飲食営業のカレー屋は当初、やるつもりはなかった(というか、無理だと思っていた)のですが、家族や周りの友人に助けられ、営業まで行うことが出来ました。

当初は「チャレンジ出店」と称して、毎月1回の出店をしていました。

それが、月2回になり、別なイベントでも出店するようになり、パートの日数も減らし・・・

2024年9月からは、ついにパートの仕事を全て辞め、仕事の自給一本にしています!

パートを辞めたことで、仕事の自給に集中することができ、出店回数を増やしたり、販売方法を工夫することができ、その結果、シェアキッチンの売上が上がってきました。

次女が事故に遭って、「もっと家族との時間を過ごしたい」と思ってから2年。

今では、平日は仕事で終わる1日ではなく、前よりも家族と一緒にいられる時間が増えました。

パートからへとへとで帰ってきて子供に、「ご飯、何?」と聞かれて

「簡単なものでいいかな…?」

と言い続け、罪悪感を感じていた以前の日々・・・

今となっては、学校から帰ってきて、一緒にゆっくりお菓子を食べながら、おしゃべりできる時間をとれることに幸せを感じています。

そんな日々を過ごしていると、思いきって起業を開始して良かったという感情がわいてきます。

振り返るとノーリスクだった起業と経営

時間的な余裕のある生活を送りたいと始めた起業。

自分の出来ることからやってみたら、振り返ると通常の飲食店経営では必要な、大きな借金をしたわけでもなく、ノーリスクで始められた起業と店舗経営になっていました。

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